START1歩行者専用道入口
石畳の階段からスタート
自然の中をくぐり抜けて進む遍路道。
ここから歩行者専用道になります。
入り口からは、石畳の階段がしばらく続きます。
山上の屋島寺へ向かう遍路道は、各方角からいくつもありますが、最も一般的なのは、麓にある屋島小学校の前を通って南から北へ登る県道です。
弘法大師も歩いたと言われている古道で、道中にはゆかり深いスポットが点在。案内板などでエピソードも紹介されています。登り切ると、仁王門、四天門、本堂と順序よく進む屋島寺参道の入口に到着し、感動もひとしおです。
こちらの遍路道は、石畳や階段などで整備され、雨の日でも足下があまり悪くなりません。ただ、登り前半の勾配はきつめですので、ご覚悟ください。
距離 | 約2km |
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所要時間 | 約35分 |
石畳の階段からスタート
自然の中をくぐり抜けて進む遍路道。
ここから歩行者専用道になります。
入り口からは、石畳の階段がしばらく続きます。
弘法大師が祈祷し湧水
弘法大師が仏天を供養して、祈祷を行うと水が湧き出したと伝わる場所。干ばつで池や井戸水が枯れても、こちらの湧き水が絶えることはないそうです。
空海が食べたかった梨の伝説
弘法大師が屋島に登ったとき、梨が美味しそうに熟していたので所望すると、持ち主から「食べられない不喰の梨です」と嘘をつかれて断られたそう。その後、梨は本当に石のように固くなり、食べられなくなったとのことです。
エピソードが残る場所は、遍路道の休憩場所にもなっています。
西行法師の歌にも詠まれた奇岩
畳を何枚も重ねたような形をした奇岩。
讃岐岩質安山岩が水平方向に発達したものです。
名前の由来は、西行法師の「宿りしてここにかりねの畳石、月は今宵の主ならん」という歌からと伝えられています。
鎌倉時代の様式美を残す
四国霊場八十八箇所第84番札所
天平勝宝6年(754年)に唐僧の鑑真和上が屋島の北嶺に普賢堂を建て、持参していた普賢菩薩像と経典を納めて創建。その後、鑑真の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立。精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職に就任しました。弘仁6年(815年)には、弘法大師が嵯峨天皇の勅願を受けて屋島寺を訪れ、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に遷移。十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置しました。
天暦年間(947年~57年)には明達律師が四天王像を奉納。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこの当時に造られ、国の重要文化財に指定されています。観音坐像とともに国指定の重要文化財になっている本堂は、鎌倉時代に建立。江戸時代には歴代藩主の援助によって何度も修築されました。
日本各地の県木が一堂に勢揃い!
全国の県木を植樹している珍しい自然エリア。地元のアマチュア写真家にも人気で、屈指のシャッターチャンススポットです。そばには広大な広場もあり、イベントもよく開催されています。広場の西側からは高松市街を一望できます。五色台から屋島湾まで見渡せる、絶景スポットです。
眺望抜群!屋島西側の頂上
県木園から平坦な尾根道を辿っていくと西尾根の頂上へ。
格好のビュースポットで、高松市街地や屋嶋城跡を眺めることができます。